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牛
ありえない世界で生きてる人に逢いました。
ありえない世界で生きてる人は名を葉子といって
小さな黒っぽい葉っぱを小ビンに入れて生きていました。
ありえない世界で私たちは二人黒っぽい葉っぱについた虫を食べました。
「焦るかんじ」ありえない世界のありえない葉子は言いました。
「寂しいような焦り、
自分の何かが足りなくて人にばれてしまったような
悲しい焦り」
しょうそうと葉子は言いました。
そうの字を少し強く発音して。
昼と夜の境目、紫色の群青が公園の空にかかります。
この公園にはブランコと少しの草しかありません。
私たちは窮屈なブランコに二人で乗って夕闇を浴びました。
「時折現実がわからなくなってた」
現実にいつも焦りを感じていたのかしらんと私が言いました。
「現実が信じられなくなるの。
現実で現実を行動している私が嘘みたいな存在で
『これは本当なの?』と首を傾げたくなるの」
どっかで道を誤ってしまったのね。
葉子ははかなく言いました。
葉子のつぶやいた言葉がからからと風に舞い散ります。
それは力なく風に抵抗するすべも持ちません。
だから現実が信じられなくなるのね。
前にね。葉子は小さなぽってりとした赤い唇をピンク色の舌でそっとぬらしました。
無花果(いちじく)のような舌。
ピンク色のはかまを着て
何処からか物悲しいドナドナが流れてきます。
悲鳴のようなドナドナです。
牛の悲しい目まで行くと必ずそれは昼下がりに戻るのです。
ハイヒールを履いたおばぁちゃんに会ったの。
葉子はドナドナに合わせて体を揺らしながらつぶやきました。
その金色のひとみに水がにじみます。
小さな木漏れ日のような呪文が葉子の隙間から
そっと、そっと流れ出ました。
現実に戻りたい戻れるものなら戻りたい
戻りたい戻りたい戻りたい
全身ピンクで私、驚いちゃった。
呪文を垂れ流したまま葉子は微笑みました。
悲しい悲しい微笑でした。
現実で出会ったのよ。
あなたが現実にいたころのお話ね。私が悟ったように言いました。
世界が始まってから葉子はどれほどの嘘をついてきたのでしょうか。
もうきっと自分さえ嘘だとはわからない。
ひそやかな呪文が続く限り流れ出ていきます。
最初についた嘘は生まれてきてしまったことなのかしら。
その日以来変なの、世界が変なの、電車の窓からね
一気にまくし立てると葉子は葉っぱから虫をもいで真珠色の小さなやいばでかじりました。
カシュ、コーラのはぜる音がします。大粒の涙がほほを伝って落ちました。
電車の窓からね、見える景色がね。
葉子の涙が虫に次々と流れ込みます。
暖かいでしょうか。冷たいでしょうか。
景色が一枚一枚違っているの。
電車の走る、走る景色が。
嗚咽はドナドナにあわせてゆあーんゆよーんと響きます。
リズムになって、ゆあーんゆよーん。
ブランコがきぃきぃなります。
この夕闇に、私たち二人は音楽になるのです。
きぃきぃきぃきぃ
ゆあーんゆよーん
全部じゃないわ。口ずさむように葉子が言いました。
長い長い漆黒の髪が風に鳴ります。
ブランコはきぃいきぃいと勢いよくいったりきたり。
全部じゃないわ、そうたとえば飛び飛びに。
ぐうすうの窓は小さな草原を、(遠くのほうにシマウマが見える)
きすううの窓は小さな海が原を、(鯨を狩ってる男が見える)
鯨からの血潮が飛び散って、一瞬窓が赤く染まる。
すぐに風に洗われてしまったけれど。
ドナドナの悲鳴がヒトキワ高く鳴り響きました。
葉子の涙がブランコに響いて後ろに後ろに流れていきます。
電車はありえない世界を走っていたのね。
「さようなら」私はブランコから手を離して
爪についていた黒っぽい虫を払い落としました。
「さようなら、もう二度と逢えない」
昨日はここで海を拾ったわ。
「忘れないわ、葉子のこと」
それは星になって空に帰ってしまった。
「私たち、逢っちゃいけなかったのかもしれない」
それなりに、きれいだったわ。
世界のおきてなんて誰が決めるのでしょう、
それに違反した私たちはどうなってしまうのでしょう。
それとも私たちはもう「世界」にはいないのだから
おきてなんて関係ないのでしょうか。
あなたはどうしてここにきたの?
ありえない世界だから、ありえないままにブランコは消え
私たち二人は葉子の持っていた小ビンの中にいました。
小ビンを持っている葉子もまた存在し、
小ビンの中にいる葉子もまた存在しているのです。
小ビンの外には私もいてきっと葉子としゃべっているのでしょう。
音はもうことりともしませんでした。
私はなんでもないものだから。
なるべく音が響かないように気をつけて私は言いました。
「人間じゃないのね」
そうね。
「せっかく久しぶりに会えたと思っていたのに」
そして小さくため息。
朱金にあたりが染まります。すぐに消えてしまったけれど。
一瞬私たちは夕日の中にいました。
「物悲しいわね」
私は葉子にキスをしました。
額に赤いあとがつきました。
ビンを通した景色がゆがんでくらくらします。
「あなたもにんげんじゃないのよ」
虫の味が空気を汚します。
私たち二人は遠ざかりながら眺めていました。
何処も動かないのに私たちは遠ざかっていきました。
―じゃぁ、なんなの
小さなようこの声
―私
ありえないもの―
葉子の絶叫がビンのしじまに響き渡りました。
小さな砂がちりちりといいます。
ここはありえない世界です。
砂の上に葉子が倒れています。
嗚咽に肩がゆれています。
私は存在を無くしてそれを見ていました。
ここはありえない世界です。
なんでもないものが生きています。
葉子はありえない世界でありえないままにただ生きています。
ありえないものはありえないものだから、死ぬことは許されていません。
だけれどいったい誰がそんなおきてを決めたのでしょうか。
「あの電車が駅に到着しました―
駅員が駅名を叫びました
私にはそれがどうしても聞こえなかった
それでもそこが何処だかしっていました。
―そこで降りたから―ドなどなどーなぁードなどなどーなぁ
ありえない物になってしまったのですね」
でも降りずにはいられなかった。
小さな蚊ほどのため息が葉子の隙間から鳴り響きました。
ありえない世界にきてしまった人は現実にいたとき現実が悲しかったはずです。
いつかこの現実から逃げれる日を、
誰かが救ってくれる日を、
ありえない世界をずっと夢見ているのです。
ありえない自分になるまで、そのことには気が付かないのです。
悲しい葉子。
悲しいドナドナ。
悲しい現実。
涙をためて
現実にキスを
現実にキスを
別れのキスを
ドナドナに別れのキスを
ありえない葉子
ありえない現実
ドナドナ―ドナドナ
悲しい夢を見た牛
そしてそれは幸せなことなのかも知れません。
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ありえない世界で生きてる人は名を葉子といって
小さな黒っぽい葉っぱを小ビンに入れて生きていました。
ありえない世界で私たちは二人黒っぽい葉っぱについた虫を食べました。
「焦るかんじ」ありえない世界のありえない葉子は言いました。
「寂しいような焦り、
自分の何かが足りなくて人にばれてしまったような
悲しい焦り」
しょうそうと葉子は言いました。
そうの字を少し強く発音して。
昼と夜の境目、紫色の群青が公園の空にかかります。
この公園にはブランコと少しの草しかありません。
私たちは窮屈なブランコに二人で乗って夕闇を浴びました。
「時折現実がわからなくなってた」
現実にいつも焦りを感じていたのかしらんと私が言いました。
「現実が信じられなくなるの。
現実で現実を行動している私が嘘みたいな存在で
『これは本当なの?』と首を傾げたくなるの」
どっかで道を誤ってしまったのね。
葉子ははかなく言いました。
葉子のつぶやいた言葉がからからと風に舞い散ります。
それは力なく風に抵抗するすべも持ちません。
だから現実が信じられなくなるのね。
前にね。葉子は小さなぽってりとした赤い唇をピンク色の舌でそっとぬらしました。
無花果(いちじく)のような舌。
ピンク色のはかまを着て
何処からか物悲しいドナドナが流れてきます。
悲鳴のようなドナドナです。
牛の悲しい目まで行くと必ずそれは昼下がりに戻るのです。
ハイヒールを履いたおばぁちゃんに会ったの。
葉子はドナドナに合わせて体を揺らしながらつぶやきました。
その金色のひとみに水がにじみます。
小さな木漏れ日のような呪文が葉子の隙間から
そっと、そっと流れ出ました。
現実に戻りたい戻れるものなら戻りたい
戻りたい戻りたい戻りたい
全身ピンクで私、驚いちゃった。
呪文を垂れ流したまま葉子は微笑みました。
悲しい悲しい微笑でした。
現実で出会ったのよ。
あなたが現実にいたころのお話ね。私が悟ったように言いました。
世界が始まってから葉子はどれほどの嘘をついてきたのでしょうか。
もうきっと自分さえ嘘だとはわからない。
ひそやかな呪文が続く限り流れ出ていきます。
最初についた嘘は生まれてきてしまったことなのかしら。
その日以来変なの、世界が変なの、電車の窓からね
一気にまくし立てると葉子は葉っぱから虫をもいで真珠色の小さなやいばでかじりました。
カシュ、コーラのはぜる音がします。大粒の涙がほほを伝って落ちました。
電車の窓からね、見える景色がね。
葉子の涙が虫に次々と流れ込みます。
暖かいでしょうか。冷たいでしょうか。
景色が一枚一枚違っているの。
電車の走る、走る景色が。
嗚咽はドナドナにあわせてゆあーんゆよーんと響きます。
リズムになって、ゆあーんゆよーん。
ブランコがきぃきぃなります。
この夕闇に、私たち二人は音楽になるのです。
きぃきぃきぃきぃ
ゆあーんゆよーん
全部じゃないわ。口ずさむように葉子が言いました。
長い長い漆黒の髪が風に鳴ります。
ブランコはきぃいきぃいと勢いよくいったりきたり。
全部じゃないわ、そうたとえば飛び飛びに。
ぐうすうの窓は小さな草原を、(遠くのほうにシマウマが見える)
きすううの窓は小さな海が原を、(鯨を狩ってる男が見える)
鯨からの血潮が飛び散って、一瞬窓が赤く染まる。
すぐに風に洗われてしまったけれど。
ドナドナの悲鳴がヒトキワ高く鳴り響きました。
葉子の涙がブランコに響いて後ろに後ろに流れていきます。
電車はありえない世界を走っていたのね。
「さようなら」私はブランコから手を離して
爪についていた黒っぽい虫を払い落としました。
「さようなら、もう二度と逢えない」
昨日はここで海を拾ったわ。
「忘れないわ、葉子のこと」
それは星になって空に帰ってしまった。
「私たち、逢っちゃいけなかったのかもしれない」
それなりに、きれいだったわ。
世界のおきてなんて誰が決めるのでしょう、
それに違反した私たちはどうなってしまうのでしょう。
それとも私たちはもう「世界」にはいないのだから
おきてなんて関係ないのでしょうか。
あなたはどうしてここにきたの?
ありえない世界だから、ありえないままにブランコは消え
私たち二人は葉子の持っていた小ビンの中にいました。
小ビンを持っている葉子もまた存在し、
小ビンの中にいる葉子もまた存在しているのです。
小ビンの外には私もいてきっと葉子としゃべっているのでしょう。
音はもうことりともしませんでした。
私はなんでもないものだから。
なるべく音が響かないように気をつけて私は言いました。
「人間じゃないのね」
そうね。
「せっかく久しぶりに会えたと思っていたのに」
そして小さくため息。
朱金にあたりが染まります。すぐに消えてしまったけれど。
一瞬私たちは夕日の中にいました。
「物悲しいわね」
私は葉子にキスをしました。
額に赤いあとがつきました。
ビンを通した景色がゆがんでくらくらします。
「あなたもにんげんじゃないのよ」
虫の味が空気を汚します。
私たち二人は遠ざかりながら眺めていました。
何処も動かないのに私たちは遠ざかっていきました。
―じゃぁ、なんなの
小さなようこの声
―私
ありえないもの―
葉子の絶叫がビンのしじまに響き渡りました。
小さな砂がちりちりといいます。
ここはありえない世界です。
砂の上に葉子が倒れています。
嗚咽に肩がゆれています。
私は存在を無くしてそれを見ていました。
ここはありえない世界です。
なんでもないものが生きています。
葉子はありえない世界でありえないままにただ生きています。
ありえないものはありえないものだから、死ぬことは許されていません。
だけれどいったい誰がそんなおきてを決めたのでしょうか。
「あの電車が駅に到着しました―
駅員が駅名を叫びました
私にはそれがどうしても聞こえなかった
それでもそこが何処だかしっていました。
―そこで降りたから―ドなどなどーなぁードなどなどーなぁ
ありえない物になってしまったのですね」
でも降りずにはいられなかった。
小さな蚊ほどのため息が葉子の隙間から鳴り響きました。
ありえない世界にきてしまった人は現実にいたとき現実が悲しかったはずです。
いつかこの現実から逃げれる日を、
誰かが救ってくれる日を、
ありえない世界をずっと夢見ているのです。
ありえない自分になるまで、そのことには気が付かないのです。
悲しい葉子。
悲しいドナドナ。
悲しい現実。
涙をためて
現実にキスを
現実にキスを
別れのキスを
ドナドナに別れのキスを
ありえない葉子
ありえない現実
ドナドナ―ドナドナ
悲しい夢を見た牛
そしてそれは幸せなことなのかも知れません。