放さずにすむ

脇からくらげが生える夢を見て、目覚めた。
朝の光が青色に、部屋の中を浸してる。海水みたい。
あたしはさしずめ人魚となって、髪を揺らして戸を開けた。
ぱああっとまぶしい光が落ちる。
あのくらげはかわいかったな、と思っていると、戸口から看守がこちらを見て、うなづいた。
「朝ご飯を食べるか?」
「食べるのです」
食欲があることはいいことだ、とかなんとか看守は笑って小麦のパンと、牛乳と下の戸口から差し入れた。
銀色のお盆がななめに光ってる。
あたしは甘ったるい(しぼりたて)の牛乳をノドに流し込みながら、
小麦のパンをじっとみた。そのうちパンはしゃべりだすんではないか、とちょっと期待しながら。
看守がろーろりろーと低い声で口ずさんでいる。アノ人はいつも、唄をうたっている。
その唄は嫌いじゃなかった。
「看守」
「んー?」
声をかけるとのんきそうに看守が振り向く。
「今日は何日?」
「えーっと、ちょっとまて・・・ひいふう・・・みいよお・・・」
「ごーろくしちはち」
「混乱するだろがっ」
「ふざけてないでよ、あんたいつも日にちを数えるけど、日付に生きていないわけ?」
「俺と時間の仲は無意味なんだよ」
「・・・うらやましい性格ね」
「こんな牢をまもってりゃね、無意味にもなるさ」
「いいわ、あたし勝手に数えることにしたから」
「おまえはいつも日付を気にするけど、なんでだい」
「そんなの秘密よ」
そか、と看守は言って興味なさそうに歩いていった。
あたしは今朝見た夢の残骸に思いをめぐらせながら、そっとベットの上に座った。

今日は仕事のない日だった。
つまり日曜日なのだ。
罪びともこの日は休めってどっかのえらいさんが言ってくれたおかげで
こうしてあたしも休むことが出来る。
看守は日曜日のお祝いに、ブドウパンとワインを持ってきてくれた。
ここに囚われている罪びとは、月曜日から土曜日まで、
庭で山菜を作るのが仕事だ。
そしてその山菜はパンになったり牛乳になったりする。
城の中のお偉い魔術師が、あたしには言うことのできない長イ呪文を唱えて、ブシツヘンカンするのだ。
ブシツヘンカンされたものはあたしたち(罪びと)の口に入る。
だからあたしたちは1人分の食料を庭で作るのが仕事なのだ。
(これはまったく効率のいいことで、あたしは働かなければ食べられないことをいやって言うほど知ったのだ)
ワインは甘ったるく(なんだか魔術師が甘党なのか、飲み物といい、パンといい、全部が全部甘ったるいのよ)
のどごしにすりすり降りていった。
ちょっと酔っ払いながら、あたしはお風呂の用意をして、看守を呼んだ。
「お風呂に入るから」
「んーんーんー」
歌いながら返事をして、看守はてこてこと風呂の鋼のスイッチをぎゅっと押した。
牢の廊下は冷えている。
冷たいナメクジがのりょのりょとはいずり、どこかに行こうとしている。
あたしはナメクジが嫌いなので、顔をそむけてお風呂に向かう。
お風呂は突き当たりにある。
あたしたちの牢屋は、鉄格子が、各部屋の前に一つ、看守の部屋(城)との区切りに一つ、そして風呂と廊下とに一つある。
どれも重くて、看守がバーで操作している。
丸っこい鉄の塊がさきっぽについた重いバーだ。
お風呂は湯気がもうもうと立っていた。
看守がバーを押すと、そうなるようになっているのだ。
どういう魔法がそこに入っているのか、あたしは知らない。
あたしは魔法に関してはこれっぽっちも知らないのだ。
お風呂はいっぱいの人が入れるように、とても広いが、
1人で入るとなると、少し寂しい。
無駄なことだと思うわ。お湯も、熱も。
だってこの牢にはあたしが入ってきて知る限り、あたししか罪びとがいないんだもの。
泡でしゅぽしゅぽと体を洗いながら、あたしは思考がぼにゃりと漂うに任せた。
時に飛んだりはねたりしながら、心はやっぱり想い出にいきついた。
どうしたって無防備な時は―寝ている時や、お風呂に入っているときは―思い出してしまう。
最初の頃はそれこそいやだったけど、今は抵抗をあきらめている。
それはアタシの魂に刻まれているのだ。
魂がなくなってしまわない限り、あたしは思い出しつづける。

雪が降っていた。

空は限りなくグレーだった。
あたしはたった今、人を殴ったばかりの痛い手をぐっと握り締めたまま、
町を歩いていた。
人々は笑いさざめき、幸せそうで、何も恐いことはないって、そう言っているようで。
あたしはもうすぐつかまるだろう、何で今、こうして歩いているんだろう。
どうせつかまってしまうのに。
王を殴ったその罪で。
でもあたしには、歩くことが必要だった。どうしても。
雪が、とても冷たくて。
熱い耳にあたって痛かった。なんとなく、覚えてる。
あたしは耳を触りながら、冷えたベッドに横になった。
神様、今日も一日が過ぎました。幸せを、ありがとう。
痛かった耳はもう痛くない。
あの時の熱さは忘れられないけれど。
看守が戸口から覗き込んだ。
「もう寝るのか?」

「やることもないし」
「本でもなんでも頼めるぞ」
「いまさらいらないわ、明日になったら考える」
「眠れるか?」
「眠れるわ」
おやすみなさい。
看守が子守唄を口ずさみながら、去っていく。
あたしはさしずめ人魚のように、戸口から漏れる青い光を浴びて、深海のそこで眠る。

「こーんなもーん、いらないよなぁ」
隣で聖書を読みながら、看守が腰の鞭をさわった。
ぐびりと、その横にさしていた小ビンを取って、水を飲む。
「鞭が?」
あたしは自分の口に入る、山菜の世話をせっせとしながら看守に応える。
「鞭が」
もう一度、ぐびり。
「今日は暑いなぁ」
「熱波がもうすぐ来るんじゃない?」
「ああ、そうかもなぁ」
「夜中に星がまぶしかったわ」
「ん?そうか?」
「水が飲みたい」
看守はぽいっと小ビンをあたしにホオッテ、聖書をもう一度最初から読み始めた。
小ビンの水は(例によって)甘ったるく、のどを潤した。
「夜中にね」
看守に水を返しながら、あたしはつぶやいた。
「んー」
聞いていないフリをしながら看守がなんも見てない目で、聖書をなぞる。
「星がまぶしかったの」
「そんなに昨日、まぶしかったっけ?」
「違うわ。昔」
あたしが王の娘だった頃。
あたしが王に・・・鞭で打たれていた頃。
看守は聖書から顔をあげて、じっとあたしを見た。
「アノ人は恐かったんだと思うわ」
「能力者・・・・だから」
「そうね、でもあたしは、能力じゃなくてこぶしで殴ったわ」

痛かったわ。
山菜をぶちぶち摘みながら、あたしは言った。
看守はじっとアタシを見ていた。
ここは楽園。脱走なんかしない。それは看守も知っている。
儀礼的な鞭。儀礼的な監視。ここを出て、あたしがどこへ行くというの。
みんな、みんなそれは知っている。知っているけど・・・。
「まだおびえてるの」
疲れた体をベッドに横たえて、あたしは誰ともなくそうつぶやいた。
看守はあのまま、黙りこくったまま、部屋に戻っていった。
星のきらめきが窓にうるさかった。
あたしは鞭打たれるたび、歯を食いしばって堪えていた。
あたしは鞭を許された後に、よく外にでて、空気を吸った。
あたしが苦しんでいる事柄を、夜空は笑って許してくれるようだった。
そんなもんさ。
ありきたりさ。
それは幻かも知れないけど。